一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

ある女性との出会い

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ある女性との出会い

 私が高校一年の春、優兄の店の斜め向かい側で、お風呂屋さん錨湯の向かいに山本桂二郎さんと云う方が市立病院側から移ってきて開業していました。

 其処にたまたま優兄が遊びに行き親しく成り、私も仕事のことや理容の色々な事を聞きに行っていました。五月に成った有る時其処のご主人が私に「輪西で開業している金子理容所で毎週日曜日に(当時、理髪所の休日は毎週日曜日でした)国家試験受験の為に、学科講習と技術指導を遣って居るので、私達が親しくしているお店の妹さんも其処のお店に通って居るのでお兄ちゃんも行ってみたら」と言われ、勇気を持って出かけて行きました。

 始めて其処のお店に行き中に入りました所、奥の部屋で八人ばかりの人が座って講習を受けて居まして全員女性でした。その中でも、オカッパ頭の幼く可愛い顔をした人がいて、この女の子が出本さんが言っていた知り合いの妹さんだなと直感しました。

 其の人が後に、私には忘れられられない人になっていくのです。

 その子は、最初あまり男子とは話をしたことがないのか無口で大人しく話かけずらい雰囲気の子でしたが、金子理容所に何度も通っているうちに段々慣れてきて少しずつ話ができるように成って行きました。

 四・五回、金子宅に行っていた頃、金子先生の奥さんに「彼女は斉藤静枝さん(仮名)と云う人で鶴中卒で歳は私と同じで室蘭の浜町で理髪店を経営している女の方の妹さんです」と紹介され、私は「山本桂二郎さんの斜め向かいで営業している加納理髪店の弟さんです」と紹介してくださいました。

 「同じ室蘭出身なので、これからも仲良くして下さいね。」と云われ、私は内心とてもうれしく思いました。

 其れから二人は、縁が有ったのか道南バスで輪西の金子理容所に行くのですが、待ち合わせてもしていないのに殆ど同時刻に道南バスの停留所で遭遇したのです。道南バスは、十分おきに発車して居たのですから不思議な縁に繋がって居たのは事実です。

 其れでも永く通っている間には、私の方が早くバスに乗り、後から彼女が走って来た姿をバスの後部座席で見た事も一・二度は有ったのを覚えています。そんな事が続くうち、何時しか彼女と私は隣同士に並び受講をする様に成り、又人数が増えても出来が良いのは私が一番で、その次は彼女でした。

 学科の講習を受ける生徒さんも段々増えて来て十五・六名位にも成りましたが、矢張り一番は私で二番は彼女という事が続きました。

 其の講習に来た人の中で、中島町で営業している橋本理髪所から来ていた、山木隆君と阿部千万億君や、遠く白老から受講しに来ていた相良光男君とも仲良く成り、私は度々橋本理髪店に遊びに行く様に成りました。そのお店は大変大きなお店で理髪椅子が六台も有る立派な理髪店で従業員も五人は居たと思います。(当時は全員住み込みです)室蘭では一番大きなお店だったと記憶して居ます。

 又、其の処の橋本先生は現代的な考えの方で「これからの理容業は、只お客さんが来るのを待っているだけでは駄目で攻める姿勢を持ち実行していかなければいけない、又不動産(土地の売買)等も視野に入れて行く事、切手等の収集も良いのでは無いか、私はもう二十冊以上も集めている、将来はかなり高くなると
思うよ」と言われ、本当に先見の明を持った方だなあと感心しました。其の時代としては、斬新な考え方を持った先生でした。(将来其処から出た山本君や大場君は不動産の売買等で成功し自社ビルを持てる様に成って行くのですが其れは又後から書くことにします。)

 その年のお正月、金子さんのお店に新年の挨拶に行きました。彼女(静枝さん)も来ており、金子さんとは前から親しい間柄と見え着物姿でお正月の準備を家の人の様にお手伝いをし、ご馳走作りにも精を出して
働いている姿を見て、女の人は一年も経つとこんなに変わるものかと云う位変身して色っぽくなっており化粧も薄化粧をしていた性も有ってか、大人っぽい顔に成って居ました。私はどぎまぎし、彼女に声を掛けるのも恥ずかしかったです。

 其の時、何か急に他人らしい仕草に変わり、言葉使いも今までの様に友達に接するようでは無く、私は距離が開いた様で余り嬉しくは有りませんでした。

 お正月が終わり、二月位から又講習会が始まりましたが、その頃は益々講習に来る人達が増え二十五人位にも成りました。遠くは白老から来る方もいて、部屋もいっぱいに成り隣の部屋まで通して授業を行いました。之だけ増えると、名前を覚えるのが大変で私が親しくしていたのは男子では山本隆君と阿部千万億君や、白老の相良君・唐牛君・室蘭の川村君、女子では静枝さん、近藤順子さん(仮名)と云う人と五月頃入会してきた吉川幸子さん(仮名)位で後は今は思い出せません。

 この幸子さんが積極的で、私と静枝さんが仲良く隣通しで話しをしたり勉強をしていると「私も仲間に入れて」と強引に割り込んできました。「何て強引に恋の邪魔をする奴なんだ」と最初は思いましたが、高校中退の私たちより一才年上で静枝さんとも気が合い、勉強もできる方だったので、女性同士の方が私と話をするより楽しいのかとも思い、帰り道でも彼女達の会話を聞きながら私は一歩下がって歩いていました。其れからは、三人一緒の行動が多くなりました。

 私はやがて、高校も二年生に成り、学業も理容の仕事も段々と慣れきて大人に成り始めました。その五月頃、室蘭の浜町に有った原理髪店の従業員で川村君と云う少年感化院(少年鑑別所)出身の、私より一歳上の人も加入して来ました。この人は、人生経験も我々お坊ちゃん育ちの人からすると大変な人生を送って来ただけに裏の世界にも詳しく、彼からは色々と教わることとなりました。

 今の時代だと、小さなお子さんでも食べる事の出来る生寿司も、その人に連れられて行き、始めて食べたのですが世の中にこんな美味しいものが有ったんだと始めて実感しました。何せ其の頃は庶民の食べ物では無くお金持ちじゃないと食べれない相当高い物でした。其の後も何度かご馳走に成りました。

 彼の給料は当時で、三千五百円も貰っていたのですが、私たちは平均月に五百円の人が圧倒的に多かったのです。高校の方は相変わらず勉強は身に入らずで、成績も一年生の時と余り変り無く、勉強よりもコーラスやバレーの方は相変わらず一生懸命でした。

 如何してもこの頃は、理容の勉強の方にカが傾きがちで学校の勉強が身に就かないのは当たり前だったのかも知れません。

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