一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

お店の立ち退き

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お店の立ち退き

 丁度高校の夏休みに入る頃、私が住み込みで手伝いをしていた理髪店である兄貴の家が立退きに成りました。お店が無くなるのは困るので「室蘭の繁華街浜町に有った東洋カメラハウス跡地にお店を移すか、其れともお前が札幌でお店を遣りたいのなら父の知り合いの家が売りに出ているので其れを購入して店舗を作るか?」と兄貴に聞かれました。私も暫く迷いましたが結局札幌に行く事に決心しました。

 それで直ぐに手配し、札幌市南三条西十三丁目に有った道庁に勤めていた方の家を当時の金額百万円で購入しました。後で聞くと可なり高かったそうですが、我々には札幌の相場が判らずそんなものかと思っていましたが五十年も経ったボロ家を購入し、店に改造を始める事に成ったのです。

 私も夏休みに入ったので改造前の家に留守番で泊まることに成りました。昔の玄関と居間・奥の部屋を潰し広げてお店を創る計画でしたが道路に面した部分にはベニヤ板で囲み一番奥の部屋との間にもベニヤ板一枚で区切って、其処で自分で作った鉱石ラジオを聞きながら寝起きをして居ました。

 ある時私が鉱石ラジオを聞いていましたらお巡りさんが二人入って来て「君其処で何をしているのか?」と聞きましたので、私は「此処の家を買ったので理髪店用のお店造りをする為留守番をしている処です。」と答えると、今度はそのお巡りさんが「家は貴方方が買ったのでしょうが土地は如何したのでしょう」と尋ねられ、私は「土地は隣の岡さんの所有だそうですが岡さんからは承諾を得て居るので問題は無いと聞いていますが」と言うと、「私達は其の岡さんの家で下宿をして居るものだが岡さんは承諾して居ないので貴方が家は自分達で購入されたのでしたらその家を何処かに持って行けば良いのでは、岡さんは貸しも売りもしない様ですから」と言われました。

 私も高校を卒業間近の生意気盛りだったこともあり「家を壊して建て直しているのなら話も分かりますが柱一本も弄って居ないので地上権も有り立ち退く必要は全く無いと思いますよ」と啖呵を切ったのです。

 直ぐ其の後に、兄貴に電話をしたら父が(中央大学法学部卒)「お前の云う事は正しいが此れから其処で商売をして行くのに敵を作って如何するのだ」と叱られました。

 其の後、父と兄で菓子折を持って謝りに行き改めて「土地を貸して欲しい」とお願いしましたが、断固として「出て行け」と言うばかりでした。しかし、東京の明治大学に在籍して居た岡さんの長男が帰って来て話し合いをし、結局「売りますが貸しはしません」と云う決論に成りました。

 只でさえ百万円も掛り更に改造費に三十万円も掛ったのですから家の借金は五十万円以上でしたのに、更に土地代迄はお金の工面は無理で桑園の伊藤さんから一時借りて支払いました。

 その伊藤さんとは、桑園で伊藤製麺所を営んでいて、私の兄「秀人」の兄嫁がそこの長女で製麺所でも働いていたころに、親である先代夫婦が続けて鉄道自殺をしてしまいました。当時長男和夫さんが未だ小学五年生でしたので兄夫婦が一緒に住み兄嫁を社長にし帳簿類は兄が担当して遣り伊藤製麺所を持続させていました。

 その後、和夫さんが高校を卒業し社長に任命させ兄嫁は専務と成っていた様です。秀兄は当時職業安定所の係長でしたので表だって事業に参加は出来なく、此の借金は私も支払って行く事に成る訳です。

 夏休みが終わり又、再び札幌に戻りましたが、其の後は兄達は引っ越しの支度等で忙しく私は再び実家に戻り其処から学校へ通いました。

 札幌のお店も九月には何とか営業出来ましたので、私は学校を一週間位休んで札幌の店で手伝い働きをしました。初めは忙しかったのですがすぐ裏に大型の理髪店があったのでだんだん暇になってきました。

お店の立ち退き > 第一の勤め先

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