一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

アルバイト

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アルバイト

 三年の夏休みに梅村君に誘われ始めて本格的なアルバイトに行きました。先ず初めてのアルバイトは、夜中のキヤンデー売りだったが夜八時頃より夜中一杯働き朝の四時頃まででしたが、夜中の十二時には夜食が出て、昼間は食道を経営しているお店で、店の前にアイスキャンデー用のボックスが有り座る椅子も有りました。

 夜中にあんなにお客さんが来るとは全く想像もして居なかったので驚きま
した、と云うのもその場所は札幌で言うと薄野みたいな処で裏浜町のど真ん中(現在は中央町という名前に変わり人通りも全く居なくなったそうです)で、飲み屋街や遊郭等も多く朝まで人通りが絶えなく、アイスキャンデー十本入りが二列に出来ていたジュラルミン製の入れ物で、二十列位の容器がアイスキャンデー用のボックスに収まって居るのですが、混みだすとあっという間に無くなるのですから驚きでした。

 自分で食べる分は、何本でも食べても良いとの事で、私はバイトが終わるまでに五十本は食べたそうです。「今までの新記録だ」と言われましたがお腹も痛くならず下痢にもならずに済みました。

 話を戻しキャンデーが無くなって来ると大きな冷蔵庫に行き、中に入り持って来るのですが、一回に大体六十本位を入れ物に入れ運びました。中にはアイスクリームも有りましたので二個ばかり黙って頂きました。

 日当は百円位だったと思います。其処から兄の店までは十分位で家に着きますので家に着くと同時に直ぐに布団に潜り込みました。次のアルバイトは重労働でした。当時夕張から汽車で運ばれて来た石炭を貨車から下ろし其れを人力で少しずつ下方へ移動し、ある一定の場所に来たら、其処からパイ助(大きな丸い駕籠が二個天秤に付いており、其れに物を入れ肩で背負う道具)で船迄歩板上に乗って歩き船上に積み上げるのですが、我々中学生には無理ですので専ら貨車から下ろされた石炭をスコップで下方に投げ落す作業をさせられました。

 我々は真面目にスコップ一杯に石炭を入れ投げていたのですが、大人は、ずるくスコップに入れた石炭を投げる時に半分位ずらして少なくして投げて居ました。

 其れでも棒頭と云う棒を持った監視役の叔父さんが大体一時間位に一度づつ監視に来る時は、さも真面目にスコップ一杯に石炭を入れ投げて居ました。

 この様な労働者の事を通常「ニコヨン」皆が言っていましたが、何の事かと思いましたら、一日の目当てが、二百四十円だったのでその名が付いたのだそうです。勿論私達の様な中学生はそんなには貰えず百五十円位だったと思います。

 次の日は、もう身体はガタガタでしたが一日で辞めるのも情けないと思い三目間通いましたが、矢張りそれ以上は無理で辞めました。後はバイトとまでは往きませんが、お祭りの子供神輿を担ぎ一日で五十円で、二日間働き百円貰いました。(当時の、八万神宮のお祭りは八月十四・十五・十六目です。)

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