一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

スミ子の父他界

スミ子の父他界

本店を新築してから、スミ子は子育てと従業員と我々の食事の支度等、大変活躍して貰いました。その頃からスミ子の実家からも義父や義母が良く来る様に成り、当時茨戸にあった茨戸ハワイランドや民謡等を聞きに連れて行ったりしたものです。

しかしその後、義父が身体の具合いを悪くして、菊水の勤医協ご入院しました所、心臓近くの動脈瘤と診断され、手術が不可能と言う事で、自宅療養をしていたのですが間もなく亡くなりました。

私は店を休み、濃昼までミニカで駈け付けましたが、まだ御通夜には時間も有り用事が有った為、又札幌へと婦り又濃昼へと二往復もしました。その時は五月でしたが未だ残雪が所々に沢山残っており同じ場所に二度も、突っ込み雪にはまり動けなく成ってしまいました。

当時は、全く車の往来が無い所でしたので、自分一人で脱出しなくては成らなく大変でした。暫くして漸く脱出し、御通夜には何とか間に合い私はその席で弔吟を披露しましたが、皆様は初めて聞くようで余り理解できなかったみたいでした。

田舎の葬式は私には珍しく、ドラを鳴らし鈴を叩きながら街を遺体を担いでぐるりと一周りするのです。街と言っても一周約三○分も掛りません。その後は、村の人全員かと思う位の弔問客が朝まで切れずに訪れ、お酒を飲んでは話し込んでいました。

御通夜や葬式ではお坊さんが、お経をあげている最中大きな数珠を皆が輪になって回しながらお経と共に上げるのでした。田舎には我々が知らない風習と言うものが有るものですね。

明宏が三歳位の折には、私の弟の康臣がわか子さんと言う室蘭の駅前で育った、臼井と言う呉服店に勤めていた人とお見合いをして目出たく結婚を致しました。(其の頃、康臣は室蘭開発建設局に勤務しておりました。)そして、その翌年には男の子を授かりました。

スミ子の父他界 > 明宏の成長記録

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