一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

両親の家を売却

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両親の家を売却

 そんな頃、私がたまたま室蘭に遊びに言った折りに、姉に両親の事で相談され、姉夫婦が看ると言う事で父が自分の敷地内に姉たちの家を建てて遣り、その頭金を出したそうです。

 そして、食事時だけを自分の家に呼び食事をさして貰っていたのですが「このままだと我々夫婦の仲もおかしくなりそうだ男の兄弟が一杯居るのに何で私が見なくてはいけないのか?良く兄達と相談をしてくれないか」と頼まれました。

 私は花川に家を建てて居た秀兄に相談をしにいったのですが「俺も体が弱いし、何時死ぬか解らんので、正直な話親処ではない。仕方がないから何処かの老人ホームにでも入れるか」と言われ、私もむかっと来てしまい、売り言葉に買い言葉ではないけれど「そんな事まで言うのであれば私が見ます」と啖呵を切ってしまいました。

 私がそう申しました所急に態度変わり「本当か!そうしてくれれば助かる、金銭的な援助はするのでどうにかその方向で考えてくれ」と言われました。

 私もシマッタと思いましたが、言ってしまった以上何とかしなければいけないと思い、家内とも色々と相談しましたが、二階に住まわすことにもいかず、店を小さく区切り部屋を作ろうかとも考えましたが、明かり窓も取れず、中々思うように行かす悩んでいました。

 又昨年、この話が出ていたらもっともみじ台の話が具体的に進められたのに惜しかったなと思っておりました。そんな時急に、昭和四十九年に成ってから偶々前回の団地入居当選者が次々と金策が出来ず脱落して行き私に「如何だろうか」と言う話が有りました。

 私は親父達の為にも、何とかしてこの団地に行きたいと再び考えるように成りましたが、何せ一番の問題は御金の事とでした。

 勿論、前にも書きました様にお金が有る訳も無く、北洋銀行で話し合いをしましたが「移転すれば取り引が無く成る」と言うことで話合いは決断しました。

 しかし、こんな事では諦め切れず新札幌に有る銀行を片端に相談に訪れ、借入の相談を持ちかけ漸く頭金が有れば、話し合い応ずると北海道銀行さんの内諾を得ました。

 ところが土壇場になり道銀支店の貸し出し額の枠が無くなったということで、この話しは駄目に成ってしまい仕方なく札幌市にお断りの返事を致しました。

 その事を当時毎年一回温泉で、行なって居ました加納会の席で、皆に話そうと先ず、親父達の面倒を看る為の事で姉に言われた事、秀兄に言われた事・そして私が秀兄に言った事等を言いました。

 そしてもみじ台団地の話をして札幌市の承諾は得て居たのだが銀行の借り入れには頭金が要り、其のお金が無く、もし親父が札幌に来ることを納得し、自分の家も売っても良いと言い、其れを頭金にして銀行からお金が借りられて、私達がもみじ台に行ける様に成ったら、親父達の面倒を看ても良いと思う。

 但しその場合、皆には二つばかり条件がある、一つ目は「スミ子の為に親父達の面倒を見る代わりにとでも言うか、毎月幾らかつつでも仕送りをして貰いたい。それと親父達「皆の家に遊びに行きたい」と言った場合には、余程都合が悪い時を除いて快く迎えて欲しいが如何だろうか」と聞き、皆は「日人達が看てくれるのなら其の条件で良いのではないか」と言う事に決まりました。

 けれども、この頭金を創るのには親父の土地を売り、それを頭金にする為に親父の承諾を得て、買い手を探し、その為に何度と無く室蘭に足を運び、買い手を捜して、漸く買手を見つけて売買の交渉し、手続きを完了致しました。

 其の金額は、二百万円で決め売る事にしました。「但し家が出来るまでは引越しは無理なので其れまで其処に住まわして居て貰いたい」と申しましてそれも承諾して頂きました。

 其れで改めて、道銀さんと交渉をいたしまして、漸く借り入れの話し合いが付きましたので、又改めて札幌市に「未だ例の土地は売れていませんか?もし売れていなければ私にお願いしたいのですが」問い合わせたところ、承諾の返事を頂きました。

 そこで道銀さんの住宅ローンを、六百五十万円借用し次に住宅金融公庫より六百五○万円を借用し、更に北海道からの融資(二百万円)・札幌市の融資(二百万円)を申し込み借用して何とか資金を作りました。

 其処で先ず、土地を五百六十万円で購入ずる為、土地購入の代金を借入致しまして、札幌市にお払いしました。但し家は土地を購入後其の年一杯までに建てなければならないと言う規定が有りましたので大変でした。

 しかも始めは、三条のお店はそのままにして、兄貴達に営業させるか下宿でもやらせて置こうと思って居りましたが、「二人で遣って行く自信がないので我々も、もみじ台に行きたい」と言い出しましたので、急に設計を変更し三世帯が住む様に練り直しました。

 お陰で従業員の心配は無くなりましたが、其の為又余分にお金が掛り結局、家を造るには一千八百万円も掛けて漸く着工するまでに扱ぎ付けました。

 又其れに、親父達も二部屋(押入付六畳間と巾一間の床の間と、同じく一間の仏間付き八畳間、それに長さ二間半巾三尺の廊下付き)が欲しいという事で、全部で二百五十平方メートルの大変大きな家に成りました。

 それに店の什器・備品等も全部新品にしたので、此れにも三百万円掛り、国民金融公庫より借入れ莫大な借金を抱え込む事に成りました。家も造り始めてから何度も設計のやり直しや、どうせお金が掛ったついでだからと言う事で、オールセントラルヒーテイングにしたり店のドアを自動にしたりしました。

 このもみじ台の家は、家内の兄達、義和さん・芳幸さん・豊・そして義和さんのお弟子さん二人で建てて貰いました。

両親の家を売却 > もみじ台で新築と店の開店

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