一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

修学旅行の思い出

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修学旅行の思い出

 六年生の夏休み頃待望の修学旅行が有りました。とは言うものの終戦直後の事ですので温泉に一泊と云う訳にはいかず、有珠山に登山と洞爺湖の月浦小学校の室内グランドに毛布で寝ると言った具合のものでした。
それでもやはり忘れられない思い出の修学旅行でした。
 
 まず朝早く室蘭駅より普通列車で長万部行に乗り、有珠駅(現在は無いと思うが)そこからてくてく登山口まで歩き(六キロ位はあったと思います)山頂を目指して登り始め、やがて噴火口(環在の噴火口とは場所が違います)脇の狭い路を通り、下に噴火口を見ながら歩くのですが狭い上に滑りますしローブも張ってなく、下までは何百メートルも有りそうで落ちたら命が無いなあと思うと恐ろしくて中々前に進みませんでした。

それでもしばらくするとその路も終わり、やがて昭和新山が見える処まで着いたのですがそこで皆は一服したのですが、私を始め数人の生徒は洞爺湖を目指し一目散に下りました。

 普通の路を降りれば時間が掛ると思い道路が無い処を息を弾ませ真直ぐに下りましたが、弾みがつき、途中で止まら無く成り一気に麓まで降りました。降りた処には野菜や果物を売っているおばさん達が大勢居ましたが私達は一切そう云う物は買わずに其の辺で休み昼の弁当を食べました。

 やがて皆が下山したのでそこから月浦小学校を目指し洞爺湖畔の路を中島を見ながら歩いて行きました。
月浦小学校に着くと思ったとおり田舎の学校で平屋建てで教室も少なく夏休みでしたので生徒さんも誰も居ないガランとした学校でした。
 
 皆が集まった所でそれぞれの当番を作りました。私は晩ご飯の材料調達掛りを命じられ友人五人で、再度、洞爺湖の町に買いにものに行くはめになりました。しかし、道も遠いし、もう歩くのも大儀でしたので悪い事とは承知でその辺の畑より大根・芋・白菜等を黙ってリュックに入れ持って帰って来ました。
今考えるまでも無くそれは泥棒ですが、その時は早く帰りたい一心でした。

 そこからは炊事掛りの仕事で、我々は夕御飯前まで洞爺湖畔で遊んでいましたが、学校に帰って来た頃にはもう夕御飯が出来ており、豚汁を御飯と共に頂きましたが、あんな美味しいご飯は有りませんでした。

 その後、洗い物などを終えてから毛布を敷いてその上で、トランプ等をしたり、話しをしたりして楽しい時間を過ごし、眠りに就きました。
次の日は、朝食のあとに、おにぎりを作って月浦学校を後にし、今度は洞爺湖の街を通り昭和新山の麓で昼食を取り、又五キロ以上歩いて壮瞥駅に向かい、そこから又汽車に乗り室蘭駅に着いた処で解散し、それぞれ自分の家に帰りました。

 勿論、物の無い時代でしたので、お土産等はある筈も無く手ぶらで帰りました。こんな時代に良く修学旅行に連れて行ってくれたものだと今振り返っても思いますし有り難く思います。
 
 こういう時代の思い出と云うものは、一生忘れないもので昨日の事の様に私の脳裏には焼き付いております..
 
 この六年四組には私を虐めた悪い人もいますし(その後の話で前科十八犯の犯罪者に成ったそうです。)、ヤクザに成った人もいますが、平均勉強が出来た人達が多かったと見え東大卒業生が五人もいますし、北大や六大学の卒業生もいます。
でも室工大卒業の人が一番多く私の様に床屋(理容師)に成ったのは私だけらしいのです。

 他の組からも、理容師になる人は誰もいなく、だいたい理容師になる人は女の人が多かった様なので、私は男子校だったせいかも知れませんね....。

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