一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

優兄の事故

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優兄の事故

 その頃、優兄のお店には、男の子(護君)が入店致しておりました。彼は、父から旭川市役所で市民部長の息子さんが東京に有るカメラ会社でレンズの研磨作業をして居るのだが将来性を考え、同じ腕に技術を身に付けさせるなら理容師が良いのではないか、札幌で良い店がないか」と頼まれ「お前の店で使ってくれないか」との事で早速面接を致しました。

 彼は叔父さんと面接に来ましたが、彼の家柄の性か高校中退の性か、男前の為か、はたまた東京暮らしをしていた為なのか、中々如才無く言葉使いも良く、少々生意気な態度も見られましたが採用する事に決めました。

 採用して見ると彼は良く働く気の利く素直な男の子で安心しました。彼は高校時代にはスキーのジャンプの選手だったのだそうですが、そのジャンプで足を骨折し高校を中退したのだそうで頭も良く中退は残念だなあと私は思いました。

 此処に来た頃は、道路は舗装されていなかったと前に書きましたが、町内で舗装をし、水道・ガスも引き、街路灯を狸小路の真帆をして鈴蘭灯としたりしました。其れに伴い商店・会社も増え始め、何とか商店街らしい装いを呈してまいりました

 私も理容の免許を取得して早5年くらいが経ちましたころ、昭和32年、札幌で師範講習が行なわれ東京や大阪方面からも有名な各講師の方々が来られまして、約三ヶ月位(週に一回づつ)受講して、最後に「バーチエラオブトンセラルアーティス」の称号と師範講師の資格を戴きました。又其の頃、札幌理容協同組合主催の理容競技大会に出場載しまして、まさか入賞すとは思っても居なかった理容競技大会のパーマネントウエーブ部門で三位に入賞しており、賞状・賞品を頂きました。

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 私も大会や講習等に積極的に参加をし、理容の修行に励んでいるころ、とんでもない事故が生じました。私達は何時もの様に桑園の伊東製麺工場に手伝いに行っていた時の事です。優兄が、誤って指を機械に挟まれしまいました、大声を出したので其処の長男が直ぐに機械を停止し、逆回転させた所本当に奇跡的な事らしいのでずが機械が停止して、逆回転してくれ、指が抜けたのです。

 直ぐ腕を縛って血止めをし、指にオキシフルを振り掛け包帯でぐるぐる巻きにして病院に直行しました。手当てが早かった事もあり、お陰様で機械の刃が骨の所で止まったので指が切れ落ちる事も無く、傷の治りも割りと順調に回復致しました。

 只其の後も、後遺症で鋏が持てず仕事に成らないので、私は二葉理容所を辞め本格的に加納理容所で働くことになり、経営に積極的に参加するする事に成りました。その後、時間は掛かりましたが優兄貴の傷も順調に回復し御客さんも増えて参りました。

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