一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

北宝理容店の閉店

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北宝理容店の閉店

 この頃は、店のお客さんも減り始め、何をしても付いていない事が多い為、仲人の野口のお母さんに相談した所、彼女もまた色々悩み事が有り、占い師に見て貰った所「戸縄の名前は変えず、呼び名と普段手紙等に書く名前を変えなさい」と言われたので、「加納さんも観て貰いなさい」と言われました。

 一応狸小路にあった森大成という易学・占い師に相談しましたところ「貴方の名前は全く変える必要は有りませんが、此の侭だと只従業員に食われるだけなので辟めた方が良い」と言われました。

 それと、本来私が其の時分、やる気を失いかけており、札幌も其の頃からビルラッシュと成りそこに必ず理容店が出来たのと、私もやる気がなくなり、殆ど店におらずパチンコ店に入り浸りで、自分のお客は来なく成るし、従業員は「オーナがいないのだから勝手に適当にやれ」とう悪循環で益々悪く成っていきました。

 一寸勿体ない気も致しましたが支店(北宝理容室)を閉じる事に致しました。六年間も営業していたので、心残りでしたがもう限界と考えたのです。

 「立つ鳥跡を残さず」の例えも有ると考え、十二月一杯迄営業していたので、全員にボーナスを支払い、五年以上居た従業員には退職金迄支私い、お負けに一月分の家賃迄を支払って廃業致しました。「そんなに支払うお金が有ったなら閉店する必要が無かったのではないのでは」とも言われました。

 只ビルに支払った敷金は返して頂き、什器、備品を含めた権利は浅野チェーンに売りました。(二百五○万円)このお金の一部は本店の未造作部分の改築部に当てました。又武井さんには勿論其のお金でお返し致しました。

 私がスミ子と結婚してから中村家とは大変親しく交際をする様に成って行く訳ですが、手広く仕事をしていた関係もあり信頼され、前にも書きました様に芳幸さんの結婚式では、司会を致しました。

 この時は親代わりに親戚代表の挨拶も頼まれていたのですが原稿を書いて当日持参した処、兄直明さんが前の日に酔っ払って「俺に頼まないで加納に頼むとは何事だ」と喧嘩に成り「兄が嫌だと言うから加納さんに御願いしたのではないか」言い争いになりましたが、結局兄がする事になり、私に「原稿を貸して」と言われました。

 勿論、兄が遺ってくれるなら其れが一番良い事ですので快く原稿をわたしました。彼は、桔構上手に読むことが出来て良かったです。又、徳実さんの結婚式でも両家代ー表の挨拶を頼まれましたが、今度は私がする羽目になり、若造なのに生意気に致しました。

 しかし、明宏が保育園に入園していた頃、徳美夫妻が離婚の危機が有り、その折りに「子供を作りなさい、そうすれば又貴方方も色々考え方も変わり夫妻仲も良く成ると思うよ、子供は我々が見てあげる」と言ったばかりに子供が出来、一史と名づけ、その子供の面倒を我々の家で見る羽目に成りました。

 朝、私が札幌ビール工場の前に子供を迎えに行き、夜は工場が終わる頃又連れて行くと言った毎日が続いたのですが、子供の機嫌の悪い時には私と行かないと駄々をこね私を困らせたものです。

 そうやって二年間育てましたが、人の子を育てる位ならもう一人自分達の子供をが欲しいと思い、病院の先生に相談した所「初めの出産から時間も経って居るので宜しいと思います」と言うので創る事としました処、お陰様で直ぐに妊娠を致しました。

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