一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

卒業して札幌へ

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卒業して札幌へ

 とうとう定時制高校の卒業式を迎える事に成りました。卒業後、私は札幌に行く事にし、今まで世話に成った金子先生始め青年会の皆様にお礼を申し述べ室蘭駅に行きました。

 その前に近藤君子さんに帰る時間を聞かれ、教えて居たのですが彼女は「見送りに行くからね」と言ってくれて居たので、切符を買ってから改札口に並んで居たのですが彼女が見えないのでもう一度、駅の切符売場に行き来そうもないので又、改札口に戻り其のまま汽車に乗りました。

 後から、彼女の手紙によりますと彼女ともう一人同級生の女子、村瀬さんと二人で「銭別を持って行ったのですが貴方が逃げてしまい会えなかったので帰りました。」と書いて有りました。

 きっと私が駅に戻ったとき、彼女達が私を見て逃げ出したのではと思いこんで帰ったのだろうと思います。銭別を貰いそこねおしい事をしました。

 尚、理容関係は休みでなかったので一人も見送りには来ませんでした。札幌に行ってからは静枝さん・幸子さん・石田光子さん・近藤君子さん等と文通は長年に渡って行いました。

 札幌では、私が行ってもお店は暇でしたので借金返済の為と技術を磨く為、私は何処かの店で働こうと思い丸井・三越等にあるお店を三軒くらい歩きましたが余り自分に合う様なお店が見当たらず、最後に狸小路三丁目に有った理髪椅子八台有るお店の太陽商事・理髪部に行き、履歴書持参で面接をしました。

 「直ぐにお客さんを遣ってもらい、その仕事振りや技術を参考にしてから給料を決める」と言われ直ぐにお客さんの調髪に取り掛かりました。

 其の頃は「井の中の蛙大海を知らず」の例え通り、私は恐ろしさを知らずお客さんを刈り始めました。

 すると仕事をしてない人達が私の周りを取り囲み、一番腕の良い人が点数を付け専務に報告し、私は三階に有る事務所に通され、椅子に腰掛けると、色々と又質問をされ、結局取り合えず一月八千円を支給される事に成り、三ヶ月後は本採用で社員に成り、高校も出ているので給料も一万円に成りました。

 但し、店の暇な時は事務所で伝票書きや、銀行へ行きお金の出し入れ等を頼むことが有るが其れで良いか」と聞かれ勿論私は「よろしいです」と答えました。

 其処、太陽商事は一階が理容室・二階は麻雀荘・三階が会社の事務所で主に今で云うサラ金や不動産を扱う会社でした。

 話は違いますが、其の頃の私の家族等は、梅村君は教員養成所に通っていましたし、龍人兄は土木現業所に勤務・弟康臣は高校三年生に成ったばかりでしたが、手先が器用なようで高校二年生の時アマチュア無線で弐級の資格を得て当時室蘭で発行して居た室蘭民報と云う新聞に大きく掲載されました。

 一番下の弟邦光は中学三年生に成り学校の成績は抜群に良く体育を覗いてオール五でした。そして只一人の姉恵子は結婚後恵美子と云う子供に恵まれましたが性格の不一致とかで離婚し父親の所に住んで居ました。
又父は、市役所の課長に任命された後すぐに再び土木現業所に再度就職し課長に成って居ました。

 今の時代では、考えられないのですがその頃は役所を転々と移動する事が出来たのですね。(その後も開発局が出来、其方に転勤しました。)

 私の周りの方々も色々な人生を送っておりましたが、私も札幌に出てきた以上(当時は東京に出て行くより札幌に行く方が余程大変な事でした。)此の札幌で腕を磨き、札幌一の理容師に成り、やがては経営面でも札幌一の理容店を目指し、頑張ろうと決心をしました。

卒業して札幌へ > 移転開業した店にて

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