一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

妻の実家と「加納会」

結婚と出産 > 妻の実家と「加納会」

妻の実家と「加納会」

 彼女と結婚をして一ヶ月位の時に始めて彼女の実家に行きました。浜益の濃昼と言う所で厚田から船で渡るか、バスで滝川に行き其処で乗り換えて、浜益まで行き又乗り換えて濃昼迄のコースか、後は車で当別から青山を経て、浜益の樫来に行き其処から送毛峠(通称濃昼七曲)と言う道路で幅の狭い急勾配の難所を経て、漸く濃昼に到着すると言った大変不便な場所でした。

 この時は妻の兄貴達(羨和さんと芳幸さん)と軽四輪車三台で出掛けたのですが、途中芳幸さんの車にカが無くこの坂道を登れずに義和さんの事で牽引しながら漸く濃昼に到着する事が出来ました。この濃昼と云う村は戸数僅か五十戸位の小さな漁村で、妻の父は元船大工をしていた様ですが、身体も弱くなり私の行った時はもう群めて家でぶらぶらして居た様でした。

 其れに引き換え母は丈夫な人で、魚の網外や山菜採りなどをしており、特に竹の子採りには急な坂道を五・六キロも歩き、背中には木で作った背負い鴛龍の様な入れ物に一杯採って来たものです。

 私がこの村に来た時には、村の人皆は親戚みたいなもので、スミ子の旦那と言うだけで大変歓迎されました。家は相当古く、本当に田舎の造りと言った感じで、玄関は引戸、中に入ると先ず土間になっていて、其れより一段高い所に八畳位の板の間が有り、上がって直の処に囲炉裏が掘ってあり、天井から長い竹が下がっていて其処に鉄瓶がぶら下がっていました。

 その部屋の左隣は八畳位の仏間・その右隣には又八畳位の日本間と成っており、何か行事等がある場合こは全部通しの大部屋となり便利な作りでした。そして家には毎日数人のお客さんが来まして、土間から居間の板の間に腰掛何時間も話し込み、その人が帰ると又もう一人と云った具合に一日中来客は絶えることが無いような状態でした。

 夜には囲炉裏を囲み、魚等をその囲恒裏で焼き囲炉裏端には食器等を並べ、酒盛りをしてわいわい騒ぎ毎日がお祭りみたいなものでした。

 それから毎月のように、濃昼には遊びに行く様に成り親戚の人たちとも親しくお話をさせて頂き帰りにはお土産等(主に魚介類)を戴くようになりました。

 札幌在住の加納家では、私が結婚する以前から毎年温泉等に集まり「加納会」なるものを開いていましたが、私が結婚してからは、両親も呼んで皆で行うようになりました。その後ら加納会は毎年行われましたが一番つらかった思い出は、豊平峡ダムの見学と定山渓温泉で加納会を行なった時でした。

 この豊平峡ダムに行く道が非常に大変で、旧トロッコ鉄道の跡を乳飲み子を抱いて渡る時にはもう子供の体重もかなり重くなっており、おまけに線路の下は、深い谷に成っており豊平峡ダムまでは約四キロも有りましたのでもうへとへとでした。

妻の実家と「加納会」 > 本店を二階建てに

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional