一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

小学6年後期の仕事

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小学6年生後期の仕事

 この頃の、私は優兄の家では、家事の方もお米の砥ぎ方を初め、炊き方等もやらされました。御つゆも私が作る役目をさせられましたし、芋の皮を剥くのは私が一番上手で早かった様ですし、其の他味噌汁の具には油揚げや豆腐、長ネギ等が多かったと思います。

 流石に魚の下ろし方や煮方等は残念ながら優兄貴の仕事で彼は包丁を研ぐのも上手でお客さんの中に産婦人科の先生も来ていましたが、その人が使う手術用のメスを頼まれて研いでいました。

 又、休日(当時は日曜日が定休日でした)には遊びに行くどころでは無く、朝から洗濯(刈り布・剃り布・タオル・白衣等)で当時洗濯機は無い時代でしたので、盥にお湯を張って洗濯用の粉石鹸で選択板を使い「ごしごし」と手で洗ったものです、其れを今度は乾かし乾いてからはきちんと畳んで置かなけれぱ成らなく、遊んだり勉強する時間は殆ど有りませんでした。

 それでも六年生の後期には、手動の手バリカンで子供さんの頭を虎狩りにしない様に刈れる迄に成りましたし、女の子の頭(オカッパ)も出来る様になり、襟足や顔剃りも出来る様に成りました。

 とは言うもののオカッパを短くカットした時等はその下を剃るのは髪の毛の部分でしたので硬くジョリジョリ剃ると痛がる女の子も居て泣かれた事も有りましたし、男の子を坊主刈りにした最初の頃は矢張りバリカンが髪の毛に絡み痛がられたり、虎狩りになり兄貴に怒られながら直された事も度々有りましたがやがて慣れてきて、上手に刈れたり剃れたりする様に成って来ました。

理髪師の変化

 この頃から理髪師は免許制に成り、試験を受けなくては成らなくなりました。優兄は受験しましたが一発で学科試験に合格したのですから満更頭が悪くもないなあと思いました。それは、床屋に成ってから色々なお客さんに接し会話の中で勉強出来た御陰で色々な事を覚えて行ったらしいのです。

 今迄は組合も無く理容師の免除ももちろん無く、只、五年間の就業したというお店の証明があれぱ理髪店の開業が出来たのですが、終戦後は何でも資格の世の中で(理髪師の地位向上化)の為に採用されたのだと聞いています。

 暫くして、今度は登美さん(兄貴の妻)が国家試験に挑戦しましたが(義姉はろくに小学校にも行かなかった)字もろくに覚えていない為、まず字を書く練習・読み方・意味の解釈等から始め、それから試験間題の解答を覚えるのに大変でした。
 
 優兄貴には怒られたり叩かれたりで、可哀想でしたか試験を通らなければ店に立つ事も出来ないので必至でしたが、落ちてばかりで五度目くらいでやっと合格いたしました。

小学6年後期の仕事 > 中学時代(思春期)

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