一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

川村君の死と静枝さんとの別れ

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川村君の死と静枝さんとの別れ

 そんな頃、室蘭より仲の良かった山本君や静枝さんを初め、室蘭青年会の連中が私の家に遊びに来ました。其れで皆を札幌の名所の案内等をしました。

 初めの内は皆張り切って居りましたがあまりの強行軍でしたので、最後の方は疲れてダウン気味でしたが楽しい一日でした。

 又その後、暫くしてから川村君がやって来まして「幸子さんと同じ夕張理容株式会社に勤務していたのだが辞めて室蘭に帰るとかで夜は、千万ちゃんと三人で薄野に飲みに行きその晩は私の所に泊まりました。

 次の日、千万ちゃんは勤めに行きましたが私は休みで川村君の相手をしていましたが、彼は不断私にも、滅多に手紙をくれたことが無いのに私の家で三通も手紙を書きポストに投函して居りました。

 彼は「室蘭に帰るのに汽車賃が足りないのでお金を貸してくれ」と頼まれ二千円を貸しました。私は「要らない」と言うのに其の担保として時計を置いて言ったのです。それが彼の形見だったのです。

 それから半月位後に彼の兄の友人と言う人が現れ、「川村君が来なかったか又、その時の様子・態度はどうだったか」と聞かれ「何か有ったのですか?」問うと、遺書らしき物が彼の師匠・彼女・兄の所に届いて居るとの事でした。彼が、私の家で書いていた手紙がその時の遺書だったのです。

 その夜、彼と行ったバーやスナック等をもう一度訪問し、色々聞き回ってからその人は私と別れて室蘭に帰っていきました。

 私はその帰り道、家に着くまでに何度も流れ星を見て、彼はもう死んで居るなあと実感しました。おまけに次の日の朝、トイレの中で見た朝刊の片隅に小さく小樽の緑町番外地で、男の半腐乱状態の死体発見と言う記事が、載っているのを見て、直ぐに其れは彼に間違いはないと直感しました。

 其れで間違で元々だと思い、直ぐに彼の兄の元に電話をしました。すると私のカンは的中しました、矢張り彼だったのです。私が連絡をしなけれぱ彼は無縁仏に成った所です。どうしてそのような事になったのか、あの時もう少し相談にのってあげれなかったのか今でも悔やむところです。

 室蘭青年会の再開から一年位過ぎて、やはり私は静枝さんの事が忘れられなく、自分の心の中だけに締まって置くのが息苦しく、思い切って今までのお付き合いでの中で段々と好きになってきた事を、打ち明ける手紙を出しました。

画像の説明

 きっと、返事は来ないかも知れないと思っておりましたが暫くしてから返事が参りました。ドキドキしながら読んで見ました。

 その内容は「私も加納さんの気持を知らなかったと言えば嘘になります。私も決して、加納さんを嫌いだった訳ではなくむしろ矢張り好きでした。もし打ち明けられていたらどうなったかは判りませんが、お互いの家庭環境が複雑で結婚と言う事になると大変難しい問題も出てくると思い諦めておりました。最近お店に来ていたJRに勤めている方にプロポーズをされご返事をした所ですので加納さんの意思には添えないので申し訳無く思います。これからも良いお友達で居てください。」と書いてありました。

 私は非常に残念に思いましたがこれで本当に良かったのかも知れないと思いました。それでもその後も文通はしていましたし、彼女はお店の傍で所帯を持っていたので、結婚をして子供が生れてからでも私が室蘭に行った折にはお柿さんに呼んで来てもらい良く話をしたものです。

 その後もこの様な行為は、三・四年続きましたが彼女が知利別に引越してからは逢うのを止めました。

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