一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

幸子さんの来訪

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幸子さんの来訪

 二葉理容所の建物は、隣の大塚時計店の所有でその時計店のオヤジがまた一寸偏屈な人でしたが、そこの家のトイレを遣わして頂いた関係で必ず毎日のように出入りをしており、自然とそこの奥さんや娘さん達とも親しくなりました。

 そこの家は女の子ばかりが五人も居り一番上の姉は家を出て男と半ば同棲をしており又、下の妹達も同じ道を歩かれると困ると言う気持が逢ったのか、その時計店のオヤジさんは、其れが余り面白くなかった様で(特に私を嫌いだったようです)何かあると私に突っかかって来る事が多かった様です。

 ある日の事、其処の奥さんに家の娘二人(高校三年生の京香さんと一年生の妹)が退屈そうなので「何処かデートにでも連れて行ってくださいよ。」と頼まれました。奥さんと娘達、特に京香さんとは仲が良かったので心良く引き受け、中島公園に連れて行きボートに乗せたり、喫茶店に連れて行きました。

 遅くなっては困ると思い、午後四時半頃に家に送っていったところ、丁度其処のオヤジさんがいて私が「遅くなって申し訳有りません」と言う前に、二人の姿を見た途端「今何時だと思っているのだ。若い娘が御飯仕度もしないで夜遅くなって帰ってくるとは何事だ。」と怒鳴り私に向っても「貴方も貴方だ、少し考えて行動しなさい」と叱られました。

 余程「お母さんに頼まれて連れて行ったのです」と弁解を仕様かと思いましたが、夫婦喧嘩になっても嫌だなと思い弁解せず「申し訳有りませんでした」と謝って置きましたが内心は面白くありませんでしたが後日、奥さんには「この間は申し訳ありませんでした」と謝られました。

 この頃もまだ静技さんや幸子さんとは文通をしておりましたが、この店で働き始めて少し経った頃、吉川幸子さん(仮名)が突然尋ねて来られびっくりいたしました。

幸子さん

 文通はしていたのですが尋ねて来られたのは始めてで、しかも三年位も会って居ませんでしたので彼女の変わり様には驚かされました。女の子はこんなに変わる者かと思う位派手に成っておりました。
私も調度失業保険を頂いたばかりで懐も暖かったので、二人でポリショイアイスショーを見たり、食事をしたり色々話をして駅で別れました。

 幸子さんは、文通で結婚したいと言われた人がいるが自分はあまり好きではないのだと書かれていたので、私は「好きだと言われて結婚するのが一番望ましい事だ」と言っていたのですが、どうも決心が付かないと言うことで私に逢いに来たそうです。後で考えると、私の勝手なうぬぼれかもしれませんが私を好きだったのかも知れません。

 この頃、阿部千万億君が札幌に出て来ていて、南四条通り東二丁目に有った伊藤という店に勤めました。その後、そこの店を辞め私の家に下宿しながら多田パリ店に勤めたり、又最後は北一条西三丁目に有った中村理容店で働く事に成りました。

 彼が来てからは良く家でマージャをしましたが、相手は彼と鈴木君やラーメン屋の清水さん・兄貴夫婦等でしたが断然私が強く千点十円という安いレートにもかかわらず勝つ時は一晩で壱千円位にも成りました。

 この頃の壱千円は結構値の有るものでした。特に清水さんはいつも負けてばかりで可哀想でしたが私にとっては良いカモでした。

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