一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

従業員との思い出

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従業員との思い出

 又この車と、従業員との思い出はまだまだあります。ある時、又従業員一同を乗せ積丹半島の西海岸にドライブをしました(積丹方面東海岸は美国までしか開通していませんでしたし、盃.神恵内方面は凄い砂利道で、ヘアーピンの連続で運転をするのも大変な所でした。

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 そんな難所でも従業員は、お酒が入って酔っ払っているので私の運転などはお構いなしで、車が走っているのに窓から屋根の上まで登ろうとする始末です。私は危ないので辞めるように注意して仲間に引っ張って中に入れてもらいながらのドライブをしました。

 またその様に素走行の最中に、ガソリンの量を示すゲージが急速に下がり始めているのに気付き、車を止めガソリンコックを止めボンネットを開けて見たところ、ガソリンを送るホースが折れて破れ、そこからガソリンがぼたぼたと漏れておりました。

 これは大変と暫く考えましたが、ガソリンホースとランエータのホースが同じ太さだ気付き、両方を差し換帰って来た事も有りました。その他には、厚田方面に釣りにでも行こうと思いましたが、石狩本町までしか行けなく川は渡船で厚田迄行くしかなく、それも渡船は朝七時からしかやってないので、当別回りで厚田迄行こうと思い、朝五時頃出発したのですが途中車が動かなくなり、ストレーナの点検やプラグ等の清掃をしながら騙し騙し望来まで行ったのでずが、等々橋の所で完全に動かなくなりました。

 其の時代には他の車は殆ど通りませんでした。仕方なく其処で魚釣り等をしていましたが、夕方になってき雨が降って来ましたので車の中で酒を飲み朝まで寝てしまいました。

 すると、辺りがガヤガヤする音で目が冷めると雨も上がり明るくなっていて、村の住民が集まっていました。もう一度車を点検して見ようかと思い、ボンネットを開け色々点検していた所、村の人が「其れは電機回りが悪いとか、ガソリンタンクに塵が詰まっているから、コンプレッサーで吹き飛ばさなければ駄目だ」とか、満足に直せる人も居なく、其の辺りはガソリンスタンドも無い時代で、自転車屋さんが一軒有るだけでした。

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 おまけに外では、其れだけ騒いるのに内の従業員は一人も起きて来ず、私は如何したら良いか思案に暮れていましたが、エンジンを下ろし分解して診ようと思い自転車屋さんで洗い油を買って来ました。そして一つ一つ分解をしていきました所エンジンのある部分から塵が洗い油と共にポロッと出てきたのです。之が原因だと思い、再びエンジンを組み立てスタートボタンを稔った所エンジンが稼動いたしました。

 其の音で漸く従業員たちが起き出し「ああエンジンが動いたの」と暢気な事を言っていました。私は其の辺を、二・三度周り、止まらない内にと其のまま札幌を目指して帰りました。帰りは石狩八幡町より石狩本町へはフェリーに乗って来ました。お陰でその車は以前より調子が良く成りました。

 その後にも、この車で兄貴夫婦を連れて日本海の寿都・島牧方面にドライブを致しました。夜中の十二時位に家を出発し、島牧方面に向かいましたが、この頃は日本海側は小樽の一部が舗装されて居るだけで、手稲当たりからまったく舗装されておりませんでした。

 特に稲穂峠などは旧道で凄い難所で、新しい道路の建設中でしたが、雨の中を走行中、道路なりに走っていたのですが、急に下り坂に成って来まして何か不吉な予感がした。私は車を降りて懐中電灯で照らして見たところ、川の橋が懸かっておらずそのまま走っていたら川に突っ込み全員死亡していたでしょう。後から見ると、工事中の標職が倒れており、本当に今考えてもぞっとします。

 明るくなってきてやっと寿都に着きました。当時このへんは小さなトラックは何台か見かけましたが、乗用車は皆無で、私の乗っていた車は珍しいのか子供たちが車の前に集まってきて眺めていました。

 その他にも従業員たちとは、海水浴(銭函海水浴場)・釣りや花見等、ドライブだけでなくススキノにも月に二・三回飲みに連れて行ってました。

 又この車で宮の森に皆で花見に連れて行ったおりに、山崎が酒に酔った勢いで私達に無断で、車を乗り回し崖下に転落させ、車を大破させたことがありました。修理代を半々にしてやり、分割で支払わせた事等も有りました。

 翌年の花見も又宮の森で行われましたが、この時は最初から車は置いて行き電車で行きました。帰りは動物園で三越しの従業員と知り合い皆で写真を撮ったりしましたが、その時の写真を後日店に大勢で押し掛けて持って来てくれたのですが、お客さんが居ましたので恥かしい思いを致しました。

 その後、矢張り崖に落とした車は幾ら椅麗に直しても隙間風は入って来たり、クラッチが滑りしますし、何となく全体にゆがんだ感じがして嫌になり二台目のミニカを購入することに致しました。

 其の事件後、暫くして山崎君が結婚を致しました。彼の妹さんが石狩の実家で美容室を営業して居りまして、そこの従業員と仲が良くなり結婚の運びへと成った様です

札幌雪まつり

 又札幌で行なわれていた雪祭りは、初めの頃は小さな行事で、支店開店の時には開店用のチラシを撒いたものでしたが、年々盛んになり札幌の人だけでは治まらず、日本全国から人が集まりだし、この頃は凄い人だかりで国際的に成って参りました。会場はまだ大通りだけで、真駒内会場はありませんでした。

 又支店の開店当時の、札幌祭りの屋台や見世物小屋は創生川の両端に南一条一丁目から南五条西一丁目まで掛っており、私達のお店から目の前で行われていたのですが、昭和三十四年六月一五日の札幌祭りで、サーカス小屋が家事になり、檻の中のトラやライオンが焼け死に、象が街中に逃げ出して観光客数人の怪我人が出た為に、その場所では止める事になり、中島公園に移転することになりました。

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