一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

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従業員の話

 この頃、柿の恵子が離婚をして居りまして美容師に成る為札幌に出てきて居り、理・美容学校に入り、其処の寮母を兼ねて生徒の面倒を看ておりました。

 当時其処の寮に入っていた娘さん二人を私達のお店に連れてきて面接し、二人供私達の店に入店する事に成りました。一人は鵡川出身の娘(桂子さん)で頭の良い可愛い娘でしたが、母親は養母で中々厳しい人らしく、彼女は高校に進学したかったらしいのですが家が貧しく「学校などとんでもない手に技術でも付けなさい」と言う事で理容学校に入校し寮生活をしていたのです。

 又もう一人の娘は矢張り日高の富川出身で、名前は美佐子と言う一寸、おでぶさんで動作の鋭い娘でした。後で正式に入店の折には桂子さんの方は養母が、美佐子さんの方は自衛隊に入っていた兄が保証人で入店いたしました。

 二人が入店してからは家の兄嫁はきびきび動く手先も器用な桂子ばかりを可愛がり、逆に不器用で動作の鋭い美佐子ちゃんにはきつく当たりました。結局私が中に入り美佐子ちゃんを庇いましたが女の子二人を同時に育てると言う事は大変な事でした。

 しかし、美佐子ちゃんは三年間勤めましたが、お兄さんが自衛隊を辞め理容店を開業したとのことで其処へ行く事になり、私共の店を退職いたしました。

 先に入店していた護君は前にも書きましたが、手先の器用な良く気の利く、如才な子でしたので余り苦労をせずに教えることが出来ました。護君は四年間居りましたが修業がしたい為に自ら当店を辞め、近くの中野さんの店で二年位居た後に東京に行き、当時全理連の理事長をしていた加川宗三郎さんのお店に入りその間に東京理容技術選手権大会で優勝し、中々普通の人は雇用てくれなかった狭き門の日本で一番と言われていた米倉理容店に入店しました。

 この米倉理容店は、地方の有名店の御子息や娘さんで無けれぱまず採用されず、何年居ても万年下働きかドア・ボーイで終わる人も居り、中々お客さんの頭には触らしてくれないとの事でした。

 何せ政界.財界.芸能界の大物ばかりが来店するお店で理容料金も高く、当時札幌で総合調髪百二十円位の時、壱千四百円が普通の料金で、個室で行いますと五千円だったそうで、更に其処に来るお客さんはチップを五千円も置いていった様です。

 其処で彼は、先生に気に入られ、瞬く間に信用を得て出世して行ったようで、後に広島のお店で支店長をするまでに成りました。

 その護君のあとから入った二人の娘は、女の子で歳も幼いと言う事も有ってこちらが結構気を使いました。特に美佐ちゃんは色気だけは可也発達しておりましたが不器用な子で涙もろく兄嫁には気に入られず、その分私がホローするのに大変でした。何時の事でしたか私のバイクの後ろに乗って買い物の帰りに何か予感がして後ろを振り返ると何時の間にか途中で落としてしまったのです。お陰様で怪我も無くほっとした事も有ります。

 又雪祭りが行なわれた折には大通迄近かった事もあり、人気スター等が来た時には良く二人を連れて行きましたが、美佐ちゃんは背が低いため舞台のスターの姿が見えないので抱き上げて見せた事もありました。

 又二人は古平在住の鈴木君の店に交代で手伝いに行って貰ったたり、他の店、数軒にも頼まれ手伝いに行かせた事もありましたが其処でも矢張り、桂子さんが特に気に入られた様でした。

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