一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

支店の開業

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支店の開業

 お店の方も順調に成って来まして、私達も余裕が付き始め少し店舖を改装する事に致しました。余りお金は掛けられないので多少考て行ないました。

 その後、お客さんにも「貴方はこの場所で仕事をするには惜しい人だ、技術も人柄も此処では発揮出来ない。町の中心部へ進出しなさい」等と煽てられた事もあり、私は山師根性も手伝い、中心部への夢を抱ように成り、何か此処の場所だけでは物足りなくなり始めました。そんな折(昭和三十四年十ー月頃)丸井百貨店の前に有った日本劇場等が入っている北宝ビルデングの地階に貸店舗の広告が道新に掲載されたのを見て私は矢も堪らず直に商談に行きました。

 このビルは当時町田さんと言う方の所有で、社長・専務・係員の三人の面接が有りました。私で三人の面接が有ったそうですが、私の其処にお店を出したいと言う情熱と根性そして若さに負けたと言う事で私に貸してくれる事に決定致しました。と申しましても、当時の金額で敷金六拾万円・改装費・設備費等で二百万円程必要でした。

 私は何とか敷金六拾万円の処を十万まけて貰い五十万円は即金で払い、後の二百万円を北洋銀行から借り入れを起こし、昭和三十五年二月一日にオープンすることが出来ました。其の前に従業員集めに奔走し、何とか山崎君・藤井君・田中さん・渡辺さん、そして私の五人で理容椅子五台店としてオープンさせることが出来ました。

 店の名前は、北宝ビルに因んで「北宝理容室」と名付けました。

 桂子さんは私共の店に永く居たと云う事と、誰にでも好かれる性格で私にとっても妹の様な気持に成っておりました。

 其の頃、支店を出し車(三菱ミニカ)を購入後、室蘭の実家にも連れて行き、測量山を始めとして各名所を彼方此方と見せて回りました。其の性か実家の両親や支店の従業員等にも「桂子さんを嫁さんにしたら良いのでは」と言われた事も有りましたが、歳も離れていまし幼い頃から私共の家に居たので欠点も見えていましたので、互い上手く往かないのではと思い、其の問題には触れない様にしていました。

 彼女は三年位私達のお店に居りましたが、他でも修業をしたいとの事で色々なお店に面接に連れて行き、最後に南十六条西十五丁目に在った坪井理容所と言うお店に決め入店する事になりました。

 此れが又彼女にとって運命的な出会いの場所と成り、その店の店長をしていた武井正勝と言う人と仲良くなり、結婚の相手として選ぶ事となりました。ただし同じ店であまり仲良くするのは他の者への影響もあり良くないと言う事で結婚式を挙げるまで一年位の間、又再び私達のお店で働くことに成り、支店勤務にしました。

 私は、普段は支店に勤務していましたが、本店に名指しのお得意さんが来ると急いでバイクで戻り終わると又支店に行き、又其の逆も有りまして毎日の忙しい日々を送ることに成りました。

 特に支店は開店当時から日曜祭日等は特に目の回る位の忙しさが続き、一日にこなすお客さんより、店に入って来ては込んでるので帰るお客さんの方が多かったようです。

 お客さんの中には今井(丸井)デパートの社長さんを始め名画座(洋画系統を上映する三流映画館)の社長兼北宝ビルの専務さんや各会社の社長連中が多くお見えに成っていたようです。

 特に今井(丸井)デパートの社長さんには「貴方は若いのにこの様な場所で経営すると言うことは大変偉い事だし、又お客の扱い等も中々良いので今の気持を忘れないで頑張れぱ札幌で一・二の理容室に成ると思うので頑張りない。」と励まされました。

 私も最初の頃はこの言葉を胸に刻んで頑張って居た性も有り、其の後益々支店は忙しくなり開店した年の四月一日には、有限会社加納理容所として会社組織に変更致しました。

画像の説明

 開店してから一年が経つ頃には従業員も変わり、渡辺さんは辞め変わりに山本義光君と渡部洋子さんが入店しました。そして其の秋には二台目のバイク(本田のベンリー号百二十五CC)を購入しそれに乗って通勤していました。このベンリー号は私の憧れのバイクで、特にマフラーの性能の高いバイクでした。

この頃、漸くカラー写真ができるようになりました。

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