一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

明宏の入学式

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明宏の入学式

丁度スミ子がお産をした年が明宏の入学の年でも有りましたので、私が明宏の入学式(二条小学校)に出席致しました。そのお陰で、その後の父母の参観目には必ず私が行く様に成りましたが何時も女の人ばかりで弱りましたが、男性は一人でしたのでもてまして、早速PTA
の役員にさせられてしまい、色々な仕事をさせられる様に成りました。

明宏も二条小学校へ入学し、その後亘も順調に成長し、明宏も学校の成績もまあまあで大した遅れも無く育ちました。

又身体も未熟児だった性で大変弱い子供で、夜中に具合が悪くなり北一条西ニ十丁目に有った緊急病院に良く連れて行ったものでしたが、お陰さまで小学三年生の頃より、段々丈夫に成って参り、病院に連れて行く事が少なくなって来ました。

この頃から、前にも書きましたように近所はビル街に成って来て賑やかに成ったのですが、普段住んでいる人が少なくなり、又其のビル内には理髪店も出来、益々お客さんが減少した為、理髪椅子も三台に減らして営業をしていました。

それでも、車はこの頃千三百CCのトヨタスターレツトに乗っていました。そんな折、昭和四十八年の春頃に、新聞等でもみじ台団地に商業用地の中に理髪店用地が売りに出された事が有りました。

この団地は、将来三万五千人からの大型団地に成り、地下鉄も開通するとの事で運試しに応募してみたのですが、見事抽選漏れをしてしまい残念でしたが、元々お金も無いので半分は(当れば良いな)位に考えていたのでさほどのシヨックも有りませんでした。

この団地は、真ん中に大きなシヨッピングセンターを設け、辺りを東西南北に各商店を設け、其の間に市営アパート郡と一般住宅、そして小公園・小学校が四小学校・中学校が北と南に二校を配し、外周道路の外側は原始林と誠に環境に恵まれたマンモス団地を創る構造だったのです。

私はもし其処に行けれぱ、亘や明宏の為に良いなと考えて居ましたものですので応募した訳です。森林公園に囲まれ遊ぶ所が多く、交通事故の心配も無く、其の上何にも増してお客さんの心配が無い事が一番だなと思っていました。

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