明宏の成長記録
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明宏の成長記録
その頃は、店も家も何かと忙しかったので四才に成った明宏を保育口に預けました。彼は、生まれた時は未熟児だった性もあり、何かと弱く食ぺ物の好き嫌いが激しく、特に普通のお子さんが好物なバナナが食ぺられず、私が保育に迎えに行く五時ころまで、まだ食べられなく泣いていました。
そこの保育園は、なかなか厳しく出された物を全部食べないうちは、他の子供が遊んでいる最中でも決して遊ぶことをさせてもらえない所でした。
彼は、食べれないことと、他の子供と遊ぶことの出来ない事で悲しくなり泣いていたのだと思います。それでも最後まで保育園生活を送り卒園いたしました。
彼の保育園での友達は、広司ちゃんと咲ちゃんで、広司ちゃんの家は寿司屋さんをしていました。又、咲ちゃんは当時の家庭の事情で、父がいない性なのか私が明宏を保育園に迎えに行くと、自分の父を思ってか私に良く抱き付いてきたものです。その後、咲ちゃんはお母さんが交通事故で亡くし、薄野で水商売をしている様です。
明宏は、大通りの東外れにあった鉄道共済会の経営している保育園に預けたのですが、大通りを車で通る度に行き交う車のナンバーや字を見て「あれはなんて書いてあるの?」と聞きながら字を覚えたものです。
又保育園が休みの時には、兄貴か兄嫁に連れられて良く大通公園に遊びに連れられて行ったものです。又披は大変動物の好きな子で良く円山の動物園にも行きました。店が忙しく連れて行けないときに、車で動物園の前まで連れて行き、入園の所にいる叔父さんに頼んで置いてきて、時間を決め向かいにいったものです。
其のお陰で、動物園の叔父さんとはすっかり顔馴染みに成っており「僕又来たのかい。良く来たね。私が気をつけて見ていますから安心して下さい」と何時も言われました。
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