一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

父の入院

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父の入院

勿輪、両親は仕方なく又室蘭に帰って行く事に成りました。彼はその後、秋田大学に医学部が出来た為、其方の方へ勤めることに成りドイツ語を教える様に成りました。

両親は又室蘭に帰ってから暫くして、目が以前から白内障に成って居たが、当時の病院では北大・医大・私立共に直す事は不可能との診断だったのですが、私達の傍に有った個人眼科病院である竹内眼科で直ると新聞・ラジオ等に載ったものですから「是非行きたいので手術内容・手術日・入院目数・費用等を聞いてくれ」と兄貴が頼まれ、竹内眼科に問い合わせた所「そんなもの診なくては解からない。来て見て診察を受け後は、入院出来る様に成ったら知らせるので、息子の家で待機していなさい」と大変怒られました。

仕方なく私共の家で、暫く待機して居ました処、二ヶ月位後から漸く連絡があり、病院に連れて行きました。入院する時も偉い横柄で父は目が眩しいのでサングラスをしていたらそんなものをしているから尚悪くなるのだ、直ぐ外しなさいと言われ、そこのテーブルに置いたところ又「誰がそんな所に置と言った。自分で持っておれ!」と言われ、更に入院部屋に行くために階段を上がる時に兄が、父の手を繋ぎ支えるようにしているのを見て、先生が「手など貸すな。自分一人で歩かせなさい!」と言われました。

本当に、偏屈な先生で今なら何処でも気軽に割りと簡単な手術と入院で直せますが、其の頃はその先生ぐらいしか居なかったので天狗に成って居たのでしよう。

それでも一ケ月位で退院し、特殊な眼鏡を指定の眼鏡屋さんで作り何とか見える様になって帰って行きました。その入院中にスミ子が見舞いに行った時、「色々な息子の所に遊びに行ったがお前の所が一番良い(他の子供達の家に行くと御飯も少なく焚くし、頼んでも我々の好きなテレビ番組を入れてくれない。其の点お前の処は食事も美味しいし、御飯も沢山焚くので安心してお代わりが出来、おまけに子供の仕付も良く、テレビも御祖父ちゃんの好きな番組を入れてくれる。ので老後はお前達に看て貰いたい」と頼まれた。

スミ子は「私は看ても良いが内の人に聞いて見なければ判らない」と言って来たと申しましたので私は直ぐに病院に行き「話が違うのではないか、私は嫌いだった床屋を遣る様に母に頼まれ、兄貴が高校に入れてくれる条件で兄貴達と一緒に暮らし、将来は私達の面倒は看なくても良いが兄貴夫婦の事をよろしく頼むと泣いて頼んだのでは無かったのか?」と強い剣幕で言ってしまいました。

其の頃から、徐々にお店の売上も低迷してきてた時期だったので、私達も不安を抱いていたところだったので、母は泣いて居り少し可愛相だなと思いましたが心を鬼にして申しました。

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