一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

理髪師から理容師へ

定時制高校での生活 > 理髪師から理容師へ

理髪師から理容師へ

 当時、未だ理容学校が北海道には無く、札幌の理容学校がようやく建築を始めた様でした。其れに、我々は学校に行かずに国家試験が受けられたのですが、私達の三年位後迄もその制度が実行されていた様です。

その頃に、我々の年代から理髪師が理容師に名称の格上げが為されたのです。其れで殆どのお店の名称も理髪店から理容所とか理容室・理容店にそれぞれ変更されました。

 私達見習生も少し前までは丁稚奉公で大体五年で年季が明け、それぞれのお店から年季明けの称号を貰い、一人前の理髪師に成ったのですが、私達は特例で二年足らずで先ず学科の国家試験を受験出来合格すると今度は実地試験を受け、其れも合格出来ると始めて理容師の資格が与えられました。

 理容学校の場合、卒業後一年のインターン生としてお店に勤め、その後に国家試験(学科と実地)を同時に受験でき合格すると理容師の資格が与えられる様になりましたが、私達が実地試験を受けた時に、未だ第一期の生徒さんは在学中でした。卒業後更に一年のインターン終了後、国家試験を受験すのですから、結局我々より三年後に理容師の資格を得る形でした。

 学科の受験は苫小牧で行われましたが学科は多分五科目だったと思います。先ず法規・生理衛生・公衆衛生・消毒科。物理(特に電気)其れに合格すると実技は札幌で行われましたが其れは未だ私達にとっては先の話で前に書きました様に、学科の講習は他所のお店(金子理髪店)を借り、苫小牧商専卒の方で東室蘭駅前で理髪店を営業されている方で、村上さんと言われる私より四・五歳上の方による学科の講習が行われました。(後からは、保健所の会議室で職員の方が行う様に成る。)

実技の講習は、矢張り二・三店で行われ色々な先生が指導されました。(輪西で営業して居た待舘先生・中島町の加藤先生・同じく中島町の永沢先生・幌別から大志田先生等)兄達が営業する時は、警察が届け先でしたが、我々の時からは保健所に移行されました。

理髪師から理容師へ > ある女性との出会い

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional