一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

理髪師見習いを開始

父の転職と理髪師のきっかけ > 理髪師見習いを開始

定時制高校へ入学、理髪師見習いの開始

 私は、遂に理髪師に成るべく決心をして定時制高校に入学する事にした。定時制高校は清水が丘高校には無く室蘭では只一つ栄高校の定時制課程のみでした、初めて入学式に出席しクラスは二組という事に成りましたが先ず驚いたのは、年齢差がまちまちで年上の人は、最高年齢が三十五歳、一番年下が私達同期の十六歳でしたから約二十歳位も歳の差が有った訳です。

 でも、矢張り我々同期生が一番人数多い様でしたが、其れでも十五人位で、北辰中学校からは四・五名位でした。又、女生徒の数はまるで少なく五十入中五・六人位だったと思いますし、北辰中学からは一人も入学生は居りませんでした。

 割と多いのは目鋼病院より、看護婦さん達で三名が居りました。初めは戸惑いましたがだんだん慣れて来ると余り歳の差は気に成らなくなってまいりました。勉強の方は初めの頃は中学の復習みたいな物で、覚えて居る事ばかりで面白くは無く、勉強は等閑にして、部活(何処に何カ所入っても良く又体育系や文系も重複しても構わない)を体育系はバレー部と文系は合唱部・文学部にも欲張って所属しました。

 特に体育系のバレーは少し早めに学校に行き授業が始まる前に皆で輸に成り御互いにトスをし合う遊びで、授業が終了してからは本格的にチームの練習をしましたが当時は九人制でポジションも決まっており私は中央のセンターを任されました。

 本格的にバレーのチームに入った事は初めてで判りませんでしたが、国鉄(現在のJR)のバレー部に所属している人(本間さん)が居りましたのでその方の指導の基に始めました。

 又、我々の同期に、北辰中学卒業生で栄町で蒲鉾を製造している家の長男で、横田幸一という人も中学時代にバレー部に居ましたので彼の推薦も有り参加したのです。彼も勿論バレー部に入部したのですから色々サーブの仕方・トスの仕方・スパイク(当時は、キラーと言っていた。)の仕方等々習い段々上手に成って行きました。

 又、合唱部(コーラス)も初めてでしたが、此処には女性も何人かは居りまして、特に近藤君子さん(仮名)と云う私より一つ上の方と親しく成り、一生懸命に音楽にも精を出しました。

 其のうちに段々と音楽にも楽しみが出て来て成績も上がり男の先生でしたが私を高く評価してくれましたし、学校に有った電畜(今のステレオ)で交響曲やトロイメライ・乙女の祈り・シャリアピン作、蚤の(ムソルグスキー)等を聞かせて戴き、すっかりクラシック曲に目覚め、家でもラジオ(当時は真空管で九管もの大出最の音を出す)にレコードプレーヤーを接続した品物を詳しい人に作ってもらい、其れでチャイコフスキーの悲愴交響曲を購入(レコード五枚組でアルバムに成っていて相当高価だったと思います。)優兄も割とその様な交響曲等が好きだったのでしょう。

 共の他には、野球放送の時には店の外にスピーカを看板の中に入れ、雨に当たらない様にして野球放送を聞かせていました、すると巨人の試合が有る時は店の前には人だかりが出来たものです。

 理容の方は最初の頃は今までと余り変わった事は教えて貰えなかったが中学三年頃はすでに鋏も使っていましたし(三分刈りや五分刈りの時は、裾に少し五厘バリカンを入れ、其のあとを鋏で刈り上げて暈す等)卒業後は普通の刈り上げ等も少しずつさせて貰って居ました。この頃の理髪店には髪型がポスターで掲示され何処のお店にも張って有りました。

 頭の刈り方の種類は、「ロング」(鋏で刈り上げはしないで襟足と後頭部はラインのみ、他にリーゼントが一番長い髪型で、後頭部だけ多少五厘バリカンを使用)次は「中ロング」、これは後頭部と襟に少しバリカンを入れ、多少刈り上げる「ミデアムスタイル」で、其れより短いスタイルを「ハーフロング」と言い後頭部と耳の上まで五厘バリカンを入れ、それを上の方まで鋏で暈す刈り上げで、暈しす部分が接合線と言って、決まった位置で揃えなくては成らず、その部分までをシャクリ刈りにしては駄目で、余りハッキリした線でも駄目と云う難しい髪形でした。

 其れより短い髪形は角刈り、小松刈り、スポーツ刈等でした。只、お客さんが「髪の毛をもう少し短く・あるいは長くしてくれ、又はもう少し刈り上げてくれとか長めに刈り上げをしてくれ」と云うことには、一切妥協せず「髪形を言えば自ずと髪の長さも刈り上げの高さも決まっているので、後は理髪師の腕次第、お客さんの意見は聞かれないので「気に入らなければ、他に行きなさい」というスタイルで、あの頃は威厳が有ったものです。今ではそんな事を言ったら即帰りますね・・・・。大体、お客さんの頭を刈る前に必ず「どの様な髪形に致しますか?バリカンは使いますか?」と何処のお店でも聞きますし、昔とは全く逆に成りましたね・・・・。

 そんな調子でしたので私でも刈り方は気にしなくても良い分だけ助かりました。又お客さんはお得意さんが多く中には「兄ちゃん僕の頭を刈っても良いよ」と言ってくれる方も多く、段々とお客さん慣れをしてまいりました。仕事以外では当時何処の理髪店にでも将棋や囲碁を置いてあり店が暇な折には、兄とお客さん又はお客さん同士で、勝負する場合が多く、私も囲碁は駄目でしたが(龍一兄は囲碁が得意でした)将棋には些か白信も有りましたので「お兄ちゃん、俺と将棋を遣らないか?」と良く誘われ御手合せさせて戴いたものです。でも中には白称参段だとか、五段とか言う入が居り飛車・角抜きで勝負しました。

理髪師見習いを開始 > 定時制高校での生活

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional