一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

私のお見合い

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私のお見合い

 私と妻とは、見合結婚でしたが此れが不思議な縁で、私が昭和三十九年の秋頃でしたか室蘭に遊びに行き、その帰りに立ち寄った佐々木さん(兄嫁の妹の家)でお見合いの話があり、「此処に札幌で(サッポロビール工場勤務)働いている人がお嫁に行きたい」との事で「写真を預っているので見ていきませんか」と言われ見るだけなら、と思っていたら其処に居たに兄嫁の姪で寿枝ちゃんが「お兄ちゃん御見合い用の写真は有るの?その写真と交換でないとこの写真は見せられない」と言われました。(もしかすると彼女は、私の事が好きで焼きもちが有ったのかも知れません)

お見合い写真

 勿論、私は見合写真等は一度も写したことが無かったので、直に東室蘭の写真館で写しその引替券を佐々木さんの家に置いて、出来たら取りに行って向こうへ送ってくれる様に頼んで札幌に帰りました。そんな事ですので自分では一度もその写真は見ておらず其の話も忘れ掛けておりました。

 そんな折(昭和四十年のお正月が過ぎた頃)突然野口紙器と言う会社の奥さと名乗る女性の人から「是非お見合をして戴けないか」と電話が有り、その後、私の働いている所へも来ましたので、隣の北宝グリルで話し合い結局お見合いをすることになりました。お見合は二月一日に、当時北三条西三丁目に有った喫茶店でおこなわれました。

 こちらからは、兄貴夫婦と佐々木京子さんと私の四人、相手はお母さんと本人、野口さんの奥さんの三人で行われました。お見合いは、恒例通り紹介のあと、暫く皆で雑談し、後は二人で別の所へ行き話をして二・三時間で終了し、家に帰りました。(名前は中村スミさんと言い、父は元船大工の娘で男の兄弟は五人・女の姉妹は四人の次女でした。)後日、野口さんより電話が有り「是非、お嫁さんに貰って戴きたい絶対損はしません」と言われました。これは相手方へ行っても同じ事を行っていた訳で、仲人さんという者はこうして結び付ける物だそうです。

 まあいずれにしても、自分で印象が良かったから私はその日の内に「あの人と付き合ってみるよ」と皆に宣言いたしました。

 其の前にお見合は、昭和三七年位から昭和三九年位に掛けて四回位は致しました。最初のお見合いは本店向かいの薬局のご主人(薬局を経営し、本人は石山建設に勤務し、常務取締り)の紹介で、同じ会社勤務の娘さんと喫茶店で会いました。

 この娘さんは中々の美人で私より少し背の高い人でした。私は其の後、お寿司屋さんに招待して色々とお話をして別れました。後から私の印象を聞きました処、「面白い、良さそうな人」との事でしたが又会いたいとも嫌だとも無いまま、私も電話も掛けてもせずに其のままと成りました。

 又北宝理容室に来ていたお客さんの紹介で会った人は、小樽の丸井に務めていた娘さんで、グランドホテルの喫茶店で待ち合わせをしました。彼女は二人連れで来ていました。

 私はその時に限ってお店が忙しく待ち合はせの場所に三十分も遅れたのと、二人連れで来るとは思っても無かったので、すっかり上ってしまい、しかもグラスを持つ手は振るえるし、二人でしたので何を話せば良いか解からず、取り留めのない話ばかりで上手く話せませんでした。結局この話も有耶無耶の内に無く成りました。

 又阿部千万億の奥さんの姪さんと会って見ないかと言う事で会って見ましたが(この人とは会って直ぐにお断りした。と言うのはこの娘さん何かすごく暗い印象で会っているだけで自分も其の暗さの中に引き込まれそうに成る様な感じでした。其れなのに阿部さん夫妻は「又如何しても、もう一度合ってくれ」と言う事で暫くしてから二回目の会話の席を設けました。でもやはり、如何しても、しっくりとしないのでお断りをしました。

 後はやはり、北宝理容室のお客さんからの紹介で、芦別の郵便局の娘さんとのお見合いでしたが、この方とは会う前に其の方の父親が来札され、北宝理容室の隣の北宝グリルでお会いし、素朴な大変良い人でしたし、その父親に私がすっかり気に入られたらしく「是非お見合いをさせたいので札幌で遣るか芦別に来てるかどちらでも好きな所で会ってほしい」と言うので、結局兄夫婦を連れ芦別に行くことに成りました。と言いますのも実は芦別頼丈に押切さんと言う兄貴の親友がいたので、其処に遊びに行くついでにお見合いもして来ようかなと言う軽い気持でドライブに参りました。

 彼女の住まいの郵便局兼住宅は、芦別に入って直の所にありました。先ず其の家でお見合いを致しまして、其の後お決まりのコースで彼女と二人で喫茶店に行き、色々なお話を致しました。

 趣味の話では私が「詩吟を遣っている」と言いましたら、彼女は「私は謡をしておりますが何か似た様な趣味をお持ちなので話が合いそうですね」等と言っておりましたが、私は何となくこの人と結婚はしたくないなと思いお断りを致しました。

 相手の方は、相当残念がって居たようですが、人間一生の事ですので仕方がありません。其の後、押切さんの所に行き、今日の事を色々と話をして、お店の従業員の方達とも仲良くして頂き、一晩宿泊させて戴いて、次の日には「三段の滝」まで案内してもらい帰途につきました。相手の方には悪いが此方の方が楽しかった様です。

 又話だけで会わなかった人は、本店の向かいに有った病院の奥様の紹介で、狸小路に有った第二グランドホテルの地下に有る美容室の店長と、同じく「私の掛っている栄町に有る美容室に勤務している美容師の方で結婚したい人」が居るが、会わないかと龍兄のお嫁さんの紀子さんに進められた話もありました。

 又同じくらいの時期に、秀兄(札幌職業安定所に勤務)の同僚の知人が持って来た、田舎の安定所長の娘さんとの縁談話もありました。この人の親は娘さんがよほど大事だったのでしょう、私の素行調査の為、隣の家に色々聞きに行ったり、家の財産の調査(預金の額・借金の有無等)をしたり、私の働いている状況を見る為、其の父と姉婿が北宝理容室に視察に来ました。

 そんな事とは知らず、丁度私が北海道銀行のお客さんと偶然に結婚の話が出て「マスターは結婚しないの?彼女は居ないの?どういうタイプが好さ」と聞かれ「実は今お見合いの話が有るのですが、幾ら自分の娘が可愛いのかも知れないがいくら何でも其処まで調査するなんて嫌らしい」と大声で話をしておりました処、従業員に「会計をお願いたします」と言われ、「はい」と答えて、レジの所に行った時に、ふと二人の客の姿が目に入りました。

 私は、咄嵯にこの人達きっと今客と話をしていた父と姉婿だと直感致しました。其の瞬間に頭の中が真白になり会計を間違えてしまい、慌ててお釣りを渡してしないました。

 矢張り私の感じた通りで、その人達は見合い相手の父と姉婿だったのです。後で「お店と人柄は感じの良い印象だったが、お釣りを間違えるようでは商売を遣って行くのに不安です」とお断りの電話が有ったそうですが、元々私はその気が無かったので全然気にも成りませんでした。

 この度のお見合いの話しは、私が会わなかった人も含めると七・八回目にも達した事ですし、私ももういい加減な歳でも有るし、其れに今度は何か旨く行く様な予感がしましたので、中村スミさんとのお付き合いをしても良いかなぁと思いOKのお返事をする事に致しました。

 只、恋愛と違いますのでお互いの本当の気持ちがなかなか掴めなかったので、私は敢えて良い処は見せず、普段とまったく同じで、徹夜麻雀明けで髪もセットをせずにぼさぼさし、眠そうな目をして居たり、又パチンコ疲れのままで会いに行ったりで、あまり食事等には連れて行かなかったので、その時事を今でも「全く身嗜みの悪い人だった」と言って居りおります。

 私は始めの頃は、理容師とでなければ結婚しないと決めておりましたし、色々な理・美容師の方々とお付き合いを試みましたが、家庭的な人とは殆ど遭遇致しませんので、一般の人を探すようになった訳ですが、彼女を妻と決めた動機はまず丈夫そうである事、(私が体が弱い為)・明るい事・家庭的な所です。

 彼女はその時分、北十二条東八丁目位に弟徳美さん・妹トモ子さんと三人で暮らして居ましが、私が彼女に電話をするとよく妹のトモ子さんが電話に出ました。トモ子さんは、当時花月というお菓子屋さんで働いていた性か、言葉遺いが綺麗な人だなと言う印象でした。それに反して彼女の方はまだかなり浜の訛りが有りましたが素朴な人柄と健康的な印象でした。

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