一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

結婚と出産

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私の結婚

 その後、度々野口さんの奥さんより催促の電話が有り、私もそろそろ年貢の納め時かなと思い、結婚の約束を致しまして、その年の四月には結納を入れ五月十六日に結婚式を挙げました。

 彼女は、当時札幌ビール会社に勤めておりましたが、もし結婚しなければ本採用の試験を受けていたそうですが、結婚を決めた為、札幌ビールを退社致しまた。

結婚式

 結婚式は、勿論野口さんに仲人を頼み、司会には島藤建設の経理担当をしていたお客さんの石川さんにお願いし招待制で行われました。又受付には中村君・桂子さん他に頼み友人代表挨拶は千万億君にお願い致しました。その他では藤岡先生(詩吟の先生)や川崎さんも詩吟を吟詠してくれました。

 又室蘭から梅村君、仙台からは野口君が出席してくれ当時として豪華な結婚式だったと思います。野口君は札幌が始めてでしたので、私は結婚式の前日に札幌の各名所を車に載せて案内をして歩きました。でも良く遠くから来てくれたものですね。

阿寒湖

 私達は、結婚式の前に南九条西二十丁目有った宏明荘と言う名のアパートを借りて置き、生活用品を揃えて置きました。デートは大体毎週しましたが彼女は、映画等はあまり好きでは無い様子でしたので、喫茶店で話す位で、後はアパートに来て荷物の整理をする位でした。

 その後、暫くはアパートでの新婚生活は順調で暮らしておりましたが、彼女が結婚して三ヶ月位で妊娠をして居る事が判りました。何か其の頃からやたらと、酸っぱい物やしょっぱい物を好む様になりましたが、元々浜育ちと云う事もあってか、しょっぱい物が大好きでしたので、私が「幾ら好きでも、しょっぱい物ばかり食べていると妊娠中毒症に掛るよ」と忠告したのですが聞き入れては呉れず、段々つわりが激しく苦しそうに成って来ました。

 おまけに私が其の頃に盲腸を患い、彼女が付き添った事も災いしたのか等々本当に妊娠中毒症に成ってしまいました。私の盲腸も手遅れ寸前で、何時も掛っていた向かいの三谷先生と言う方に夜中に腹痛の為往診をして頂いたのですが「普通の食あたりだろう」注射をしてもらい「朝病院が開いたら又来て見て下さいね」という事でした。痛みが収まらないまま、朝病院が開くと同時に、直見てもらいましたが矢張り同じ診断で又注射と飲み薬を呉れました。

 しかし、一向に症状が良くならず、午後からもう一度病院に行きました。今度はさすがに此れは只事では無いと思ったのか直に紹介状を書いてくれ、保全病院に行きました。すると保全病院では診た瞬間に「此れは盲腸です、すぐに手術をしなければ腹膜炎を起こし手遅れになります」と言われ直に手術をされました。

 手当てが遅れた性もあり、可也重態で直るのも人一倍掛りました。お陰さまで、其の頃は私がいなくても店の従業員は一杯居りましたし、住み込みの従業員も居りましたので売上金も家に持って来て貰えましたのでゆっくり養生出来ました。

 其の後、家内が段々妊娠中毒症の症状が悪く成って参りましたので、病院を変え札幌私立病院に転院したのですが、その症状は治まらず、そして其の年の十二月二十四日、店が大変忙しい最中に双子を出産したのです。私は其の日は、従業員の手前も有り病院とお店を三往復もしたが、お客さんをこなした数は、従業員の一番多く遣った人には負けませんでした。

 出産前の病院の先生は「今日は生まれません。若し今日生まれたら母子共に危険な状態に成りますので子宮収縮剤を投与して出ないようにして居ります」と言われました。おまけに私が「若しかしたら双子では?」と聞いたのですが其れも打ち消されましたが、生まれそうになる寸前に双子と確認され、病院の対応には疑間を生じました。

 病院では懸命に抑えていたらしいのですがそれでも矢張り自然の力には逆らえず出産したのです。しかしながら二人とも未熟児で一人は千九百グラム・もう一人は千二百グラムでしたので保育器の中に入れられ生死の間をさまよう状態でしたし、家内も暫くは入院していました。

 家内は「子癇という命が危険な状態ですので、何としても助けたいと思いますが、子供達の命は保障出来ないので覚悟をしてください」と言われ、おまけに「身内の皆に連絡をしてください」とまで言われたのにはいささか驚きました。

 早速、家内の兄貴を初めとする中村家と、私の優兄貴夫婦や秀人兄貴夫婦等に連絡して病院に呼ぴました。お陰さまで家内も回復し二十日位で退院致しましたが、二人の子供の内、体重の少ない子供は三日目(二十七日)に亡くなりました。

 私は落ち込んでいる間もなく、暮れの忙しい最中でしたが、市役所に死亡届を出しに行ったり、火葬場に遺体を持って行って火葬して貰ったりと、てんてこ舞いの忙しさでした。おまけに兄貴が車をトラックにぶつけられ、其の交渉に行ったり、車がなくなった為忙しさも倍増致しまして、本当に色んなことが重なった、大変な忙しい年末でありました。

子供の誕生と名前の命名

 その後、双子の一人が亡くなった途端に、もう一人の子は亡くなった子の魂が乗移ったかの様に元気に成り、めきめきと体重も増え思ったより速く(三ヶ月で体重が二百五十グラムと成り)退院いたしました。

 その退院する前に、子供の名前を付け市役所に提出しなけれぱ成りませんでしたが生まれる少し前に夢枕に老婆が出て「生まれる子供の名前は何も心配せずとも良い。貴方の住んでいるアパートの名前を採用しなさい」と言われた事が有り双子だったら明と宏と付けようかと思っておりましたが、一人が亡くなりましたので宏明ですが、夢は逆さまと云われておりますので明宏と命名しいたしました。

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