一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

詩吟との出会い

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詩吟との出会い

 私は、札幌に来てからは仕事と休日は、パチンコ.麻雀.映画と余り運動らしい事はしていない性か胃の調子も良くなく顔色も悪い為、靴作りの職人をしていた利根さんに、頭を刈りに来るたびに「お兄ちゃん、胃に良いから詩吟をやって見ないか」と誘われておりましたが余り興味が無かったのと他にする事が一杯有ったので適当に返事をしていたところお店が終わった頃迎えにきたのです。

 仕方なく一緒に付いて行きましたが直ぐ近く位に思っていたのですが、歩くこと十三丁位も歩かされ着いた所は小さなお寺でした。

 其処には十人位の人が集合しており、コノ字に並び真ん中に先生らしい人がタクトを持ち漢詩の書いた大きな紙が貼ってありました。其処に書かれていた詩吟は丁度私が小学四年生の頃、一家先生が教えてくれた菅原道真の(去年の今夜)と言う作品でしたので皆に遣ってみなさいと言われ曲がりなりにも、うろ覚えの通り遣ってみた所、皆に「上手・上手是非続けなさい」と煽てられ、始めることに致しました。

 先生は当時藤岡奏風と言う雅号でしたが後には岳奏となり私がもみじ台に来て十年後位から矢張りもみじ台の市営団地に入り引退をしまして、そこで亡くなりました。私が入った当時は北本御夫妻・鎌田御夫妻・川崎さんの奥さんと娘さん(美智子さん)・川崎さんのお柿さんで後にお世話になることに成る荒木さん・利根さん・大西さん.お寺の住職等でした。そして其の後には千葉御夫妻・梁田親子・大場さん等が入門してきました。

 私は利根さんが行かなくなってからもずっと続け、特に川崎さんに付いて指導を受け良く色々な大会に聞きはに行ったり、他の流派の大会にも連れて行ってもらいました。藤岡先生は木村岳風直下の門下生でしたので他の流派等はもっての外で、私たちは内緒で出かけたものです。

 川崎さんの家にも良く習いに行きましたが必ず藤岡先生が何時も居りました。私は未だ純情だった性か全く其の時は二人の仲を疑いもしませんでした。二入は出来て居たのだそうです。

 詩吟の昇格には級から始まり五・四・三・二・一級と有り其の後は初段・二段と成り此処までが支部試験で、この後には本部の試験で初伝と成り初めて泉と言う雅号が与えられます。其の後、更に三段・四段と上がり次に中伝と成り山を与えられます。次は又五段.六段と上がり次に奥伝と成る訳です。此処まで来るともう先生クラスですが、更に七段・八段と試験があり其の間に準師範・師範の試験も有ります。

 其の後は名誉職とでも言いましょうか、試験等は無く教え子の数とか支部の役職をした貢献度により九段・十段・皆伝・正師範等の称号が授与されます。私は美智子さんという良きライバルにも恵まれた性もあり、最初の頃は飛び級で三級と成り次の試験では一級に昇格致しました。支部の試験は年に二回有りましたので一年で一級になった訳です。そこで一寸天狗になり練習をサボリ始めるなりその後飛び級は有りませんでした。其れでも最後には結局「八段奥伝準師範」を取得する迄二十年以上も続けました。因みに私の雅号は仙風と言う名前です。

 私は札幌に来てから三年目位でお得意さんも可也付いて参りまして、お店の・経理等も引き受け経営の実権を任さる様に成りました。

 初めの頃は兄貴の幼馴染の会計士に決算等を見て貰っていましたが、隣の岡さんの息子さんが大学を卒業して実家に戻って来てから、私と親しくなり、ある時「お兄ちゃん経理は誰かに頼んでいるのか」と聞かれ「会計士に見てもらっている」と答えた所「僕に麻雀を教えてくれないか、その代わりに経理の仕方を教えてあげるから自分で決算書も作りなさい。」と言われ私は「僕に覚えられるだろうか?僕は普通高出身で簿記は遣った経験が無いが」と云うと、「大丈夫簡単に覚えられるから」という事で教えていただきました。

 又、麻雀も岡さんの家でお祖母ちゃん・小母さん・御主人・そして私とで毎日の様に教えに行ったものです。其の頃からは理容組合の五部会(当時、その近辺の理容業会グループの総称、現在は中央中会)にも兄貴に変わり顔を出す様にも成りました。

 其の内に地区会の皆様とも親しく交際させて頂く様になり、冬はカルタ大会や麻雀大会、夏はキヤンプに海水浴、秋は運動会や観楓会(定山渓)等にも出席するようになりました。

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