一人の理容師の人生を語った「自分史」です。「ヘアーサロン加納」

静刃と動刃

ある女性との出会い2 > 静刃と動刃

静刃と動刃

 七月頃よりは保健所で講習をするように成り、美容師希望の方々も一緒でしたので一挙に五十名も講習生が増えました。其の時の模試試験で私は、二回も全課目百点を取ったので、誰かに聞いたのか保健所の先生が「君、高校に行って居るのだって其れなら何も理髪師に成らなくても公務員にでも成れるのではないか」と言われたことがありました。

 何か理髪師を馬鹿にされた思いがして「今に見て居れ、貴方達より偉い人間に成ってやるからな。」と思ったものです。

 私は学科には、かなり自信も付いたので実技の方が少し不安で、特に鋏の運航に関して兄貴は頭を刈るのは大変上手でしたが、鋏の使い方が悪く(我々が講習で習う鋏の使い方は、「静刃」と「動刃」が有り櫛を定規の代わりにして鋏の静刃を其処に固定しながら動刃で刈って行かなければ成らないのです)兄貴の鋏は、金魚みたいに両方の刃が同時に動くので、教わることができず、その勉強は、兄貴が昔、自分でお店をやる前に少しの間働いていたことのある、当時室蘭の栄町で開業をしていて、今は幌別で営業している、折大志田理髪店で「勉強して来い!」と言われ、お米を一升(この頃はお米も配給制でしたが家族の状態で配給率が違うようでした)持たされ無給で其処の店に行かされました。

 其処は日工の指名店(福祉施設)で、朝六時(二番手の帰る時間帯)に、お客さんが真っ黒な顔(仕事帰りで顔も洗って無い状態の人達)でやって来るのですが、先ず洗面所で顔を洗って貰いその後理髪椅子に座って貰うのです。其の人達でお店の中は一杯で、その人達を先ず一片付けしてから漸く朝食でした。

 朝食が終わると又直ぐに大勢のお客さんを相手にし、一段落して漸く昼食ですが、その間も団体で来たのかと思われる人々で溢れ、流石の私もくたくたに成りました。何せ、朝刊がお昼位までにぐしゃぐしゃで読む事も出来ない位に成ったものです。

 でもお陰様で、鋏の運行状態は日増しに上手に成り自由に静刃を固定し、動刃だけを動かす練習は出来る様に成りました。

 私が頭の半分位を刈り終わるころに親方が回って来て刈り直し、一つの頭が完成すると言った具合で、鋏の運行の練習には成りましたが、一つの頭を仕上げる練習にはならないので、慣れて来てからは、先生の仕上げ具合を盗み見して憶えるようにしました。

 私は夜学校が有るので、午後四時に夕食を頂いてその後、暇を頂いて汽車で室蘭に行き学校が終わると又幌別まで帰り、布団を敷いてから学校の勉強と理容の勉強をして、毎日夜の一時頃に寝ることが多かったです。

画像の説明

 其処の家族は、夫婦に子供が六人の住込み、従業員は女ばかり三人で、私と従業員が三人・其処の娘(栄高校三年生)と弟(栄高一年生)の六人が六畳間に寝て(手を伸ばせばりの女の子に触れる位の距離)、後は隣の部屋(唐紙四枚並んで居るだけの部屋)に夫婦と四人の子供で、八畳間位でしたので大変狭かったものです。

 毎日、夜起きていて勉強するのは其処の姉弟と私でしたが一番先に寝るのは姉で、次は私、最後まで頑張るのは長男で大学受験で朝三時頃まで勉強して居ました。

 ある日私が寝ようとして部屋に入りましたら姉が私の布団で寝ているでは有りませんか、触ることも出来ず起こせませんでしたので弟に起こして貰い自分の布団に寝かせて貰いましたが何故あの様な事をしたのかは今でも判りません。

 其処の従業員は住み込みで、他に通いの従業員が男子一人女子一人居りまして、二人とも三十代半ばの職人で二人とも結婚をして居ました。又住込みの女の子達は金子先生の所にも講習に行っていたそうです。私は一か月の約束で其処のお店で勉強させて戴きましたので、期限が過ぎましたので家に帰りました。

静刃と動刃 > 理容の国家試験

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